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#2003年4月14日(火)
倉阪怪奇句集「魑魅」発売

倉阪鬼一郎第三句集発売!
ってことで、またまた表紙絵を描かせていただいた。
句集ということで、いろいろなイメージが彩られているがために、題名を元にした絵に。
絵のほうはいつものごとく黒色回廊にアップした。(今回、文字まで担当させていただいたので、文字入りの絵に。ちなみに、これが噂のアップルのヒラギノ明朝。上品ないい書体だと思う。)

さて「魑魅」である。
魑魅魍魎の魑魅(ちみ)である。鬼へんに飾られた漢字のインパクトが大変に強い。
一般に自然界から発生した妖怪のことを言うらしい。
魑魅の「魑」は山の神をあらわし、「魅」は沢の神を表す。のだそうだ。
ということで、何故か魑はハービーに魅は貝の妖怪になってしまった。貝やハービーというのはとても好きなモチーフなので。

勿論倉阪先生の作品であるがために、そこに隠された血の匂い、禍々しい暗黒の存在は忘れてはならない。なので、絵からはちょっとわかりにくいのだが、バックの石は血で塗られた頭骨を埋め込んでいたりするんである。相変わらずの人でなしモード。

なお、邑書林から発売のこの句集は、本屋の店頭での入手が少し難しいとのこと。
ジュンク堂のような大きな本屋では入手可能とのことではあるけれど、書店注文だと三週間くらいかかってしまうそうだ。
確実には邑書林(http://www7.ocn.ne.jp/~haisato/)まで、直接メール( younohon@fancy.ocn.ne.jp)で発注していただけると「即日発送送料版元負担・着後郵便振替」で送ってもらえるそうだ。
bk1でも取り扱いが決まられたそうだが、4月15日現在はまだ検索で出てこない。もうちょっとかかるかな。

倉阪ホラーが好きな方にも、初めての方にも、怪奇溢れる世界言葉の世界を楽しんで頂ける本だと思うので、是非是非。


#2003年4月08日(火)
科学の子のジレンマ

訂正
以下の文章について、アトムの世界は「ロボット法」「ロボット三原則」じゃありません、と海法紀光さんから指摘を受けました。どっかで混同していたようです。ごめんなさい。ご指摘ありがとうございます。
文章の趣旨には変わりません。「ロボット法」のほうがロボットへの差別を端的に描いてわかりやすい。
手塚治虫のつくりだした物語の世界観を表していると思います。

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鉄腕アトムの誕生日イベントに対してなんとなくわだかまりを覚える。
ああ、またアトムをもって商業主義の生け贄に、とついつい思ってしまうからだ。
広告代理店の仕掛けが露わな、いかにもといったつくりが余計に。

日本最初のアニメーションの製作のために、アトムは「正義のヒーロー」として「心優しい科学の子」としてすでに、何度もその流れる重いテーマを犠牲にしている。

奇妙愛博士の言っているとおり、原作版のアトムはひどく悲しい鬱々しい物語である。
アトムは、「知性あるロボットが道具として差別されている世界」で、「ロボット三原則に縛られて」生まれ、生みの親天馬博士から「成長しないこと(人間でないこと)で疎まれて」育った不幸を背負いつつ、それなのに「正義の味方として人間を助けることを強制された」存在の物語である。
そしてそれにもかかわらず、アトムは心も持っている。感情のあるロボットとして、彼自身が自らの正義を疑うことができるのだ。

そして、青騎士編にいたっては、差別から逃れようと戦うロボットたちとの対立を描くまでになり、アトムは人間の側にたつのか、ロボットの側にたつのかを選ばねばならないようにさえなる。
小さな電子頭脳では受け止められない自己矛盾の中、一端はアトムはロボット側についたこともある。さらに、私のさだかではない記憶によれば、青騎士編はついにそのジレンマをとくことができずに未完もしくは中途半端に終わったはずだ。

あらかじめ、決して人に抗うことができないように作られたものに、本当に「感情」や「知能」を与えてよいのか?それは不幸な存在を増やすだけではないのか…。

チューブが張り巡らされ、エアカーが飛び交う未来社会においても、人間の性根は変わらない。
人間と同等以上の能力と感情があっても、些細な違いがあれば徹底的に差別しようとする心のありようが変わらない。それを克服しない限り、不幸は連鎖する。
手塚は未来のロボットの歴史に、多分に人種差別を克服できない世界を仮託している。

アトムの基本テーマの底に流れるアイロニーは、マンガ映画版ではばっさりと切られてしまう。
それは日本初の週1回30分形式のアニメーションを製作するために犠牲にされた。
厳しい物語よりは、可愛らしい瞳の子供のように小さなロボットが、大きな敵をやっつける話として。
単なるロボットプロレスリングと堕したという痛烈な言葉が豊田有恒の昔のエッセイに書かれている。

そして、ふたたび。アトムは未来技術の「夢」を担う存在として、眠りを覚まされる。まあ、簡単に「夢」などという安易な言葉でくくってしまう愚かさをおいても、それは「悪夢」ではないのか?

アトムの中の矛盾。それは残念ながら当分終わらないのに。
またアトムの持つ「悲しみ」は無視されてて、人間の都合のいい話に置き換えられてしまう。マンガ映画版の明るい側面だけに支配されて、電子頭脳にプログラムされたロボット三原則のままに、アトムは戦いつづける。

ロボット三原則

第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また何も手を下さずに人間が危害を受けるのを黙視していてはならない。
第二条 ロボットは人間の命令に従わなくてはならない。ただし第一条に反する命令はこの限りではない。
第三条 ロボットは自らの存在を護(まも)らなくてはならない。ただし、それは第一条,第二条に違反しない場合に限る。

現実、ロボットに人間と同様の「感情」が生まれる日がくることはないだろう。それを表現しているように見えたとしても、それは精巧なプログラムがそう見せているだけである。
アトムは、だから誕生(う)まれない。
そのほうがいい。

#2003年4月01日(火)
さよなら

プロジェクトの終了に伴い、ついに職場を去ることに。
短いような長いような7年間に、終止符を打つ。
移り気な私にしては、まあ、長続きしたほうだろう。
なんとか無事にプロジェクトは終了したし、ぶ厚い成果報告書も作成した。億単位の予算の切り盛りもやったし。…ああ、疲れた。

働いた間に貴重な体験とスキルをもらったことだし。これをどうするかは、これからの自分次第ってところだ。

この不況の中、やっていけるのか不安はたくさんあるものの、
勉強不足を痛感してもいるので、再就職はせずにCGに専念することにする。

満開の桜花のなか、プレハブ2階立ての研究棟の事務室を後にする。

いつも買っていたジュースの自販機で、最後のコーラを買う。
ほとんどあたったことのないクジが当たる。もう、一本選ぶ。
自販機の別れの挨拶らしい…。