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#2002年12月24日(火)
サイエンス
森山さんのところから、リンクをしていただいている…。すぐに流れるトップページのメモでは失礼なので、あらためて…。
独断と偏見で選ぶベストサイエンスブック2002
みなさまもどうぞご参加を。

新聞に現在の教育状況では、子供に「何のために勉強しなきゃならないの?」といわれて返答に窮しているという母親の投稿があってたけど、そんなの簡単だ。
「何のために?」
「面白いからに決まっているじゃん」

残念ながら、自然科学は面白くなるためにはかなりの訓練が必要になる。かなり高い障壁を持っている。
でも、サッカーだって、野球だって、スポーツが面白くなるためには、基礎訓練が必要じゃないか。それといっしょで、学校の勉強の退屈さは基礎トレーニングの単調さに他ならない。
将来面白い知識を仕入れ、答えのでない問題を考えるためには、すでに答えの出ている知識つまりセーフネットの張ってある場所で、勉強のやり方を習わなくちゃいけないわけだ。

で、自然科学の基礎トレーニングは確かに大変なんだが、それが理解できるようになれば、これくらい面白いものはない。なにしろこの世界をつくる理を見るのだ。

人間の目なんてたかだか過視光領域の波長だけしか感じられない。けれど自然科学の視線はそのような限界を超え、遙かな過去も、人の訪れることのできない場所にも、遠い宇宙も、量子のレベルにも、届こうとしている。
そして知識は常に前進している。

大変だけど、それに見合うだけ価値があるから。
「面白いんだから」勉強しようよ。(いや、もちろん、自戒をこめて)

#2002年12月20日(金)
技術は最高なんだ、最高。だけど…。

Star Wars episode IIのDVDを購入。
episode Iのほうが好みだった私としては、当然古いエピ1のDVDから取り出してくるわけで、見るのに時間がかかるかかる。しかもエピ1は3回くらいリピート…。
まあ、長持ちしていいって意見もあるけどね。

でもって、買って2週間たったところで、やっとメイキングまで辿り着く。CG技術の最先端をガンガンと牽引していくルーカスフィルムの華やかな技術の舞台裏は、まさに本編よりもドキドキする。
パペットだったヨーダに華麗な殺陣をつけたいがためにCGキャラにし、しかもパペットの時の癖すらもきっちりと再現しようというサービス精神の固まり。人間よりももっと人間らしく。
観客が本当に見たいのは、パペットでありながら、パペットより進化したヨーダなんだ、という言葉がすべて。そう私が見たいのはスター・ウォーズの世界観を保ちつつ、さらにすごい映像に違いない。観客は限りなく我が儘な暴君
最初のスター・ウォーズを見たときの二連星の太陽を持つ砂漠の星見たときの、巨大なデススター上での戦いを見たときの、あのセンスオブワンダーをもう一度。この際だから、旧三部作との物語の整合には目をつぶってあげるから。

CGという強力な武器で思い切り自分の好きなおもちゃ箱を創れると確信した彼が、この先どのようなディティールに満ちた世界を創っていくのか
ということで、画面づくりについては、独り邁進するルーカスをとっても支持するんだけど…。脚本がなあ。
古典的な身分違いの恋愛を描くのには、いろいろと足りない部分があるという気がする。

アナキンをジェームズ=ディーンのイメージで、と考えているのも、なんだか違う。だってディーンは早逝を感じさせる儚さが身上だが、アナキンは生きてダークサイドの泥に身を投じる強さがあるわけで。誇り高く精錬潔癖なジェダイの青年が、どうしようもなく追いつめられないといけないのに…。このアナキン、最初っからダークでしかも賢くない。

アミダラはきっとアナキンの外見だけが好きなのよ、というナタリー=ポートマンの鋭い意見には頷かざるを得ない。私としてはアミダラは意識、無意識を別として、若いジェダイ見習いの情熱を利用しているんじゃないかと思うのだが。まあ、私の邪な見方を「永遠の少年」ルーカスが同意してくれるとは思えないけど

それともうひとつはジェダイが日本的な武士道の世界を下敷きにしているのがわかるのだが、これがどうにも勘違いの産物というか、薄っぺらいものにされているのが気に入らない。師匠と弟子なんだから、気安い友人じゃあないんだから。運動部の先輩と後輩でもこんなタルい関係じゃないぞ。(いや、最近はこんな感じかもしれないけど。)
アレック=ギネスのオビワンには有無を言わせない威光があったじゃないか…。

あとジェダイの殺陣。
ああーもう日本から殺陣師の2〜3人つれていって、構え方から腰の落とし方から、全部たたき込んでもらってくれ。それだけで、スター・ウォーズは根本から変われる気がする。
私が日本人でなければ、そして時代劇に対して思い入れがないのなら、もう少し平静に見てられるんだけど。

ルーカスはメイキングの中で、技術は表現する手段にすぎない。大切なのはそこで語られる物語、ストーリーテラーが一番重要なのだ、と繰り返す。その言葉には当然、頷く。複雑なストーリーラインよりも古典的なロマンがスターウォーズには相応しいだろう。
でも、だからこそあのスター・ウォーズを安っぽいラブストーリーにしないでくれ(切実)


#2002年12月06日(金)
古い船を動かすのは古い水夫じゃないだろう

今の漫画が肌にあわなくなっている。
全部読んだ上での正確な評価じゃない。ただ本屋で、表紙を見たり、ちらちらと雑誌を立ち読みしたときに、こちらを惹きつけるだけの作品に出会ってないというだけにすぎない。
そんなにアンテナをちゃんと広げているわけではないから、あくまでも個人的感覚だ。
たまたまかもしれない。受けて側の問題の可能性もある。

しかし、今までずっと読み続けていた長い作品も、新刊がでても心が躍らない。読んでも、またぐるぐると堂々巡りをされているような感覚に囚われる。なによりも、その作品の変質のほうに注意がいって、はらはらとする。そしてそれにも疲れ、飽和してしまい、「もう、いいか」と心の中でつぶやいてしまう。

昔の漫画を取り出してくると、ちゃんと面白い。まあ、面白いから取っている作品ばかりなのだから当然なんだけど。
この前は「日出処の天子」をひっぱりだしてきたために危うく徹夜するところだった。勿論、このような名作が頻繁にうまれるはずはないのは承知の上だが。

こちらの統計によれば、漫画は「長大」になったわけではないらしい。
だが、漫画が「長い」かどうかを決めるのは決して物理量ではないだろう。当然、1000回続いてもベクトルを喪わない物語もあれば、その逆もある。
また平均でものを言うには出版量が今昔では違いすぎる。

で、気付くのが、漫画の絵の細密化だ。
今の漫画家さんは絵が非常に上手くて丁寧だ。CG化の波もあってエフェクトも綺麗だ。
静止画としてみたとき、たいへんに魅力的な絵が描かれていると思う。
で、その絵の魅力を大事にするために、コマは自然大きくなり、一ページに詰め込まれる漫画としての情報量は少なくなるのだ。
高橋留美子作品なんて、その顕著な例だろう。うる星やつらの最初の頃なんて、これでもかというような小さなコマを駆使して、溢れんばかりのギャグとアイデアが詰め込まれていた。
それが変質したのはいつ頃なのか。
ネットで見た感想に、萩尾茂都作品は詰め込まれた情報が多すぎて読みにくい、とあった。こういった感想が生まれる素地はどこに作られたのか。

物語が長大化しているのではないかもしれないが、ひとつの物語を描ききるためのページ数自体が増大化しているの可能性はある。反比例して起伏は小さくなったり繰り返しが増えている。そこに、私自身がついていけないでいる、のかもしれない。

勿論、昔からそういう静止画の美しさで魅了するような作家はいたし、嫌いではない。内田善美なんていい例だ。
けれど、それだけじゃ悲しい。

物語の起伏で、最後までページを繰る指を止めさせないような、そういう作品への飢えを感じる。


#2002年11月18日(月)
ゲノムゲノム、5劫のすりきれ

ゲノムひろばに行ってきた。文部省特定領域研究の市民との交流イベントである。
職場にはいっていたチラシで、ゲノム談義のパネリストが瀬名秀明氏だということにひかれて。だからいささかミーハー。
ロボット関連などではこういう催し物は多いものの、分子生物学では珍しいし。文部科学省の特定領域研究の発表の場として非常に興味深くはある。
配偶者に聞くとパネリストのひとり久原教授はDNAチップをやってらっしゃるらしいし。酵素にも関連するらしいので、ちょっとだけ期待。

会場は福岡市の中心部天神、エルガーラというビルの中。きれいだしアクセスもいい。お金はかかるが一般向けならこれくらいのところでやらないとひとが集まらないから。

さて、ゲノム談義はパネリストのプレゼン(自己紹介を含めた仕事内容の紹介)から。メインゲストの作家瀬名秀明氏から。
さすがに作家の瀬名氏は一般向けに喋り慣れているので話しが上手い。ゲノムのみならず、パラサイトイブに因んでミトコンドリアに関しての説明に多くの時間を割く。
ゲノム研究が一段落すれば、核の中だけでなく細胞全体の各種機能との関連性が新しいターゲットとなるだろうとのこと。

そして、ゲノムという言葉の指す意味が一般に流布していないとのことを指摘も。
実は恥ずかしながら私もゲノム=遺伝子=DNAと漠然に思っていた。それらは一般科学雑誌などではいっしょに語られる事が多いし。

ゲノムは核内に存在する遺伝情報を含んだDNAの連なりを意味するらしい。つまり核外のミトコンドリアにもDNAが存在するがゲノムとは言わないようで。
#とはいえ、核を持たない生物の遺伝情報はこれまたゲノムといっているみたいだし…。

またゲノムの中には遺伝情報を含まない部分つまり「遺伝子」ではない部分もあるので、ゲノム=遺伝子の集合体というのも違うようだ。

科学用語の一般への説明は大変難しいし、常に単純化、解りやすい部分の抽出化(私の造語だけど)が起こる。
現にこのゲノム談義でもらったパンフレットの中にも、「ある生き物のもつすべての遺伝情報をゲノムといいます」と書いてある。でもその下には遺伝子でないDNAも含みます、と説明があってるし(汗)

その場でわかったような気になって帰ったが、よくよく考えるとまたわかんなくなってしまった。研究者自身は狭義広義とでも使いわけているのだろうか。

次に九大生体防疫医学研究所の服部教授のお話。外的要因と遺伝的要因の両者が絡まっておきる病気(つまり一般的な病気のほとんど)の遺伝子レベルでの病因を探るのが専門らしい。
まだまだ、その原因遺伝子を探っている途上でがあるが、将来的にはある遺伝子を持ったひとがある特定の病気にどれくらい罹りやすいか、ということが言えるようになるらしい。

しかし、このことを「発症前診断」と呼ぶのは絶対に避けてほしい、と強調されていた。あくまでも、それは「診断」(必ず罹る)ではなく、「リスク評価」なのだと。
遺伝子研究には遺伝、家系、血、などといった呪わしい言葉が付随しやすい。このことの取り扱いに神経質になられるのは実によくわかる。ひとは「言葉」によって、逆に縛られるものだし。

また、このように人類が多様なる遺伝子を持っていることこそ、人類という種が生き残ることに必要なことなのだ、と指摘される。飢えに強くあるための遺伝子を持つひとが生き延び、飽食の時代にその遺伝子故に病気に罹るのは自然の流れにすぎない。

後の質問で治りもしない病気のリスクを聞かされてもつらいだけで無意味ではないのか、(意訳)という指摘があり、それが他者ひいては全体への利益につながるのだから研究はすすめなくてはならない、という答えが返ってきた。
私はそれ以上に自分の苦しみが何故なのか、というのを正確に知りたいけどなあ。それが自分自身のゲノムのなかの一遺伝子による不都合なのか、それが何故起こりうるのか。

三番目が九大農学研究院久原教授。分子生物化学分野からの代表のようだ。DNAチップという技術を使い、m-RNA量を測定することで、ゲノム内のDNAが何時何処で発現(活性化)しているかを調べる、というような研究をされているらしい。

うーん、私としてこのDNAチップによる測定のメカニズムあたりを、もっと詳しく聞かせてもらえるかと思ったのだが、そこらへんはすべて別会場の研究発表のブースで聞いてくださいとおっしゃる。なんだかなあ。
それが時間内に簡単に説明できることでないのは重々承知しているが、説明を拒否しているようにしか聞こえないのにがっかり。

最後に毎日新聞科学環境部編集委員の青野氏による生命倫理関連の話。遺伝子情報解析でのプライバシー侵害等、これは服部教授の遺伝子治療へのフィールドワークなどにも直接つながる話。

アメリカ主導で始まったゲノムなどの生命科学への危惧から始まる生命倫理の問題。しかし、キリスト教圏における「倫理」=「ethics」をそのまま日本に持ってきても、それが根付きにくいのは確か。日本はモラルの成文化を嫌うし。

とはいえ、現状その構築が急務なのは確かだろう。なにしろ、研究のスピードは速く、にも関わらずコンセンサスを得るための情報の開示が遅々として進まない。

説明の後はフリートーキングという形で。それぞれの分野への質問を述べられたり答えたり。

ということで、結構面白い話しゲノム談義だった。けれど、ゲノムということでかなり範囲が広すぎるような気も。パネリストが多岐の分野にわたっているので、こちらからの質問はちょっとやりにくいような。

とりあえず、貰った小冊子のできが非常にいいので、この部分だけでもpdfにしてWEB公開しないのは、たいへんに勿体ない話ではないかと思う。

その後ブースをちょこっと回ってみるが、人があまりにも多いので、疲れてしまい退散。