7日目(記憶という名のゴーストハウス)

次の日の出発が朝とても早いので、観光できるのは今日が最後。それなのに、夕方からまたパーティが一件入っているんだよねえ。ああ、しんど。

今日も今日とて、またまたフレンチクォーターへ。この道も歩きなれちゃったなあ。

歩いていると、黒人の大きなおっさんが挨拶するんで、こちらも返す。そしたら、「どこへ行くんだ。どっから来たんだ」とうるさく尋ねてくる。「朝早いのに今から歩いても店は開いてないぞ。」と。いや、朝早くないと暑いんだよ。挙げ句の果てに、「ビールでも一杯どう?」などと。この朝からビールなんて飲んでどうすんだよ。しかも、ありがた迷惑なことに、そこは横断歩道の真ん中だったりする。えー、青信号になったんだから、私はもう行きたいんですけどー、と心中思いながら、朝ビールを丁重にお断りする。

昔日本の基地にきたことがある様子なので懐かしいせいなのか。それとも一人歩きのカモと見たのか…。旅先が危ないのは確かなので、相手を刺激しないようにしつつも、そそくさと立ち去らざるを得ない。




ここが横断歩道。必ず真ん中で信号が変わってしまう



「絶望という名の電車」のイメージとなった路面電車。
今でも現役




ここは緑したたる雑貨屋さん。
ここの庭はきれいだった。

さて、今日のお目当てはガイドブックに出ていた「幽霊屋敷」である。コワイものみたさってヤツです。ブードゥー博物館は見るからにおどろおどろしいのでパスしたんだけど、こちらの幽霊屋敷はなんてことなさそうなので…。
この屋敷の話は「ルイジアナの怖い話」にも載っていて、黒人奴隷を虐待したアメリカ版「血まみれの伯爵夫人」のようなことらしい。

社交界の花形の美しい夫人宅から火事がでて、助けにはいっていみると、餓死寸前の縛られた7人の黒人奴隷がいたとか。そのために夫人は追放。
でも、それから夜になるとムチの音やうめき声や叫び声が聞こえるようになったり。バルコニーを歩く鎖につながれた男が目撃されたり…

それから持ち主が代わり改装されたのだが、なんと改装時に床下から無数の生き埋めの遺体がでてきたとか…。

まあ、そういった因縁のある場所だそうなので、遠くからちらっとでも見てこようかなと気まぐれを起こして、行ってきました。んで、直接見た感じではなーんてことないただの家。塗り替えられたばかりなのか、ちょっと新しい目かな。だからそれほど「幽霊屋敷」には見えない。ギャラリーの看板はでているのに営業していないから寂しげなのは寂しげだけど…。

でもね、ここで撮った写真を改めて見ると…。ちゃんとカラーで撮ったにもかかわらず、何故かモノクロのおどろな雰囲気に見えてしまうんだよね。色鮮やかで、華やかなフレンチクォーターにありながら、この沈んだ重苦しい雰囲気はなに?という感じで。

後でphotoshopで拡大して、心霊写真でも写っていないかと調べたけれど、さすが霊感0のワタクシめが撮した写真、幽霊にはそっぽむかれている。




気のせいかもしれないけれど
おどろおどろしげな雰囲気。
実物はそうでもなかったけどなあ。



ギャリエハウスのパティオ。

さて、気を取り直して、ガイドブックのおすすめの「ギャリエハウス」へ。ここは、有名な建築家ジェームズ・ギャリエが自らデザインした私邸を復元したもの。19世紀のビクトリア調のルイジアナの邸宅を偲ぶものとして、博物館になっている。廷内は1時間に一度のガイドツアーに連れられて回る。

私が入った時は、後5分でツアーが始まる時間だったのでタイミングが非常によかった。日本語のツアーもあるけれど?と言われたが、残念ながらそれを待つ時間はない。

そして、廷内は残念ながら写真撮影不可。きれいなパティオだけが撮影できる。

まずはギャリエは好んだ緑色に塗られた玄関から。ここのアイアンレースはギャリエ自身がデザインしたとか。なるほど優美な造型である。居間は華麗なヴィクトリアスタイル、家具はオリジナルなものではないらしいが、ちゃんとその当時のアンティークを使用している。
二階にあるギャリエ自身の書斎はニューオリンズの気候を考慮して、高い天窓が開いている。可愛らしい子供部屋もある。
特徴的なのが病人室。黄熱病などの伝染病に苦しめられたニューオリンズの開拓時代を反映して、壁紙すらない病人用の部屋があるのだ。(壁紙がないのは後で丸洗いするためとか。)いかに病気が多かったか、そして、その感染を押さえることに必死になっていたかが伺える。
また、この時代であるのに、水洗トイレやセントラルヒーティングのシステムまであるのだから驚きである。2階に水をくみ上げ、石油ストーブで加熱して、蛇口からお湯が出るのだ。当時の最先端の技術。



セントラルヒーティングを支える貯水槽
時代を考えるとめっちゃ先進的。



みんながガイドさんの方を見ているすきに
ちゅうたれをとりだし撮影。
なかなかの綱渡り状態。

華やかな主人たちの部屋と比較すれば質素で貧しいけれど、当時の水準からいえば、かなりちゃんとしている使用人用の部屋もある。まあ、日本だって使用人部屋はこんなものかな…。

台所とダイニングルームもあり、高価すぎる食器はすべて女主人が洗い、奴隷たちは触れることもさせなかったとか。(それでは、なんのための使用人なのか、よくわからない気もする。)また、当時、コーヒーは非常に高価であったために鍵のついた箱にいれていたとか。

それでも、ムチと厳しい労働にあけくれることになるプランテーションに比較すれば、人間的な扱いをされていた様子。

ギャリエハウスでは中の撮影ができなかったので、1850ハウスの写真を。こちらもきれいなヴィクトリアンスタイルの家である。全体的に、ギャリエハウスよりは色調が甘く、女性的で優美な感じ。置いてある家具もオリジナルではないのかもしれない。

1850ハウスのほうはガイドなしで閲覧のみ。(ここも人が少なかったなあ)




1850ハウスの居間




豪華な食器が飾られた食堂




可愛らしい子供ベットのおかれた子供部屋

その10へ続く