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6.ダ・ヴィンチ・コネクション

私たちがイタリアに行ったのは丁度7月。すでに「ダ・ヴィンチ・コード」の映画が公開された後。この映画や原作小説の鍵となるミラノのレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」(Cenacolo Vinciano)は、ものすごい話題になってました。従って、個人の旅行者はもちろんのこと、ツアーですら観覧予約をするのが難しいという状況。
その中で、国際会議のエクスカーションは最初からこの「最後の晩餐」に決定されていました。イタリア社会はコネ社会。クリエンティズモ(縁故主義)がまだまだ生きていて、コネさえあれば入手不可能なチケットだって、ゲットできるらしいのです。ミラノ大学のコネクションのお陰で、ラッキーにもダ・ヴィンチの名作を拝めることになりました。


スカラ広場に立つダ・ヴィンチ像。下のほうは弟子。

ダ・ヴィンチはフィレンツェの人かと思っていたのですが、ここミラノでもかなりの業績を残した様子。もちろん、その一つが、サンタ・マリア・デッレ・グラッツェ教会(Santa Maria delle Grazie)の「最後の晩餐」です。そのダ・ヴィンチの偉業を偲んで、レオナルド・ダ・ヴィンチ記念国立科学技術博物館までありますが、その話はまた後で。
さて、ミラノ大学コネクションのおかげで「最後の晩餐」ツアーに参加できたわけですが、さすがに会議参加者と同伴者とは別の日を設定されました。少人数ツアーで、ミラノ大学の学生さんがガイドにつきます。狭いミラノの街、サンタ・マリア・デッレ・グラッツェ教会まではどうやって行くのかなー、と思っていたら、徒歩+地下鉄でした。まあ、それが一番早くて、賢い方法なんでしょう。
それにしても、学生さんはあまり説明してくれず、地下鉄の切符を買うだけで我々は大わらわ。おまけに早足でどんどん行ってしまうので、ついていくのが大変です。サービス精神の欠如というよりは、英語があまり得意ではないのとシャイな性格のためのよう。


右手の煉瓦の建物が、サンタ・マリア・デッレ・グラッツェ教会(Santa Maria delle Grazie)

そして、ここが、「最後の晩餐」が置いてある場所。

Cenacolo Vincianoとは、
レオナルド・ダ・ヴィンチの食卓、という意味です。
英訳では「Last Supper」と呼ばれたので
「最後の晩餐」になったのでしょう。

ダ・ヴィンチだけでなく多くの画家が
キリスト「最後の晩餐」の場面を描いています。

実はちゅうたれを連れていきました。
みんなが別の方向を向いている間に、決死の一枚。
ふー。隠密行動でし。

中庭から教会のほうへも行けますが、
時間がなくて、教会へは連れて行って貰えませんでした。
「最後の晩餐」は頑固なレオナルドじいさんがフレスコ画材を使うのを嫌がったので、とてもデリケートな絵画です。それは食堂の壁に描かれていたので、食べ物の湿気や湯気が絵を浸食されました。また罰当たりなことにキリストの下のところに通路があけられた跡が残っていたりします。それだけでなく、馬小屋に使われたり、大洪水に見舞われたり。第二次世界大戦時には空襲を受けて、建物そのものが損壊したりと数奇な運命に晒されてきました。その中で、奇跡的に残っていたのだから、存在自体が奇跡の「絵画」といってもいいでしょう。
1977年から1999年まで、オリベッティ社のサポートで大がかりな修復が行われ、美しい詳細がわかるようになり、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。

現在、このデリケートな絵を外気から守るために厳重に管理され、見学は完全予約制で一グループ最大25人までで、時間は15分に制限されています。素敵に美人なガイドさんが、英語でいろいろと説明をしてくれます。
もちろん、写真撮影はNG.(下記URLの下のほうにある写真が一番雰囲気がわかります。)
http://www.pcs.ne.jp/~yu/ticket/supper/supper.html

一点透視図法を使って描かれた「最後の晩餐」は、直に見るとその立体感が顕著です。まさに死せる運命にあるキリストとともに、同じ晩餐に出席しているような気持ちにさせてくれます。また、弟子たちのそれぞれの生き生きとした手の動きには驚かされます。キリストの気高い表情(かお)。ヨハネの美しさ。そして、背後の窓からのぞくロンバルジアの荒野(レオナルドはミラノ郊外の風景をわざわざ入れたとか)
背筋がぞくそくするような、ずっと、眺めていたい、そういう気持ちになりますが、自由に眺められる時間は無情にも5分くらいしかありません。

なお、「最後の晩餐」の対面には、ジョバンニ・ドナト・モントルファーノのフレスコ画「十字架上のキリスト」があります。確かに「最後の晩餐」と比較すれば平凡な画ですが、常にこの奇跡の名画と比較される可哀想な宿命を背負っています。天才と常に比較されることになる凡庸。その運命を画家は知っていたでしょうか…。

売店には、「ダ・ヴィンチ・デコーディッド」(ダ・ヴィンチ・コードの批判本)だけが置いてあったのが印象的でした。

そして、セルベッローニ宮で晩餐を
会議参加者の「最後の晩餐」ツアーは、忙しい会議スケジュールの終わり、バンケットの当日にありました。彼らも私たちと同様に徒歩と地下鉄で教会まで行ったそうです。もちろん、絵画には満足したのだそうですが、何故か現地解散となってしまい、帰り道を集団迷子になったそうです。
自信ありげに歩くヨーロッパ人らしき人の後をついていったら、見事に道を間違ったとか…。諦めてBar(居酒屋)でビールを一杯、という人たちもいて、バンケットに行くのに着替える時間もなくなってしまった人たちもいたんだそうな。なにをやってんだか…。
ミラノで迷うのは、私だけではありません。

バンケットがあるのは、ナポレオンがヘッドクォーターに使っていたというセルベッローニ宮(Pal Selbelloni)です。優雅で豪華な内装には、本当にびっくり。まるでオペラ座の中でバンケットするような感じ。
でてくるお料理も、前菜、プリモ2種(赤ワインのリゾットとクリーム味のパスタ)、セコンド2種(魚のパイ包み焼きとフィレ肉)…という、なんともすごいボリューム。さすがにイタリアだけあって、お味のほうも素晴らしく、いっしょに出されたワインにとてもよくあいました。最後のデザートはベリーの盛り合わせにクリームを載せたもので、美味しかったのですが、完食は無理。

鬘にタイツ姿や絹のロングドレスが相応しいような雰囲気。
きらきらしいシャンデリアにフレスコ画
装飾過多のこてこてですね。
バンケットには、かなり出ましたが、ここまで凄いところは初めてでした。

着替える時間がなかったのかな?

鏡を多用することで、部屋を明るく
また、その美しさをさらにひきたててます。

とにもかくにも、最高のイタリア気分を味わった夜でした。

その7に続く