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1. たどりつけば、そこはワールドカップ
時は2006年7月。ワールドカップの真っ最中。開催国ドイツ経由でイタリア行きはなかなか勇者だと思うなぁ、と他人事のように思ってました。フランクフルト空港は当然警備が超厳重。ボディチェックの厳しいこと、厳しいこと。ま、仕方ないですよね。
折しも、その日ドイツ-イタリア戦。イタリア行きの飛行機はゲートの端っこ。空港内を30分歩く羽目に。これはきっと、イジワルをされて端のほうに追いやられたに違いありません。そう思うくらい、イタリア行きの飛行機には、イタリア国旗を掲げたサポーターらしき人がいっぱいいるのです。なんでも、自国の活躍は自国で観たい、とか。そんなもんかと思いながら、ミラノに到着。


空港からミラノまでは列車で、ミラノ北駅へ。大きな荷物を抱えながら、やれやれ、ここまで来たのだから後はタクシーに乗ってホテルまで、と思ったものの。タクシーが一台も見あたりません。
タクシー乗り場の前で待っているのは、やはり大きな荷物を抱えた旅行者だけ(アメリカ人っぽい風情)。彼はどうやら随分長い時間を待っているらしくいらいらとしています。
来ないよ、タクシー。多分。
そうです。今日はワールドカップの準決勝。イタリアとドイツとが雌雄を決する日。タクシーの運転手さんたちは「んな、仕事なんかやってられっかブレイゴー!今日はテレビ観戦で、死ぬまで飲むぜチンクエ!」なのです。地下鉄が動いているだけマシなのかもしれません。
仕方ないので、荷物をかかえたまま地下鉄でホテルへ。方向音痴な我々は地図と首っ引きでなんとかホテルにたどり着きました。


ワールドカップで警備ものものしいフランクフルト経由。
ハンニバルが艱難辛苦の果てに越えたアルプスを飛行機でひとっとび。
夏なので、ほんの少しだけ雪が残っている程度。

ミラノの空港。
一週間の滞在なので荷物でかっ!
閑散としているミラノ北駅。赤と緑の配色がポップ。
でも、タクシーは来てくれません。

疲れもピークに達しつつ、フロントまで辿り着くと、誰もいません。
なんと彼らは、テレビでワールドカップの応援の真っ最中。
それでも、最後に残ったプロ意識(?)で渋々ながらフロントマンがやってきて、チェックイン手続きをしてくれました。荷物を持って案内してくれるベルボーイも気もそぞろ。チップなんかどうでもいい風情。

……なんか、もしかして、私たちはすごいところに来た?と配偶者と顔を見合わせます。

やがて、ゲームが終わり、道路に面したホテルの部屋では、路上を鳴らすクラクションの音が轟きました。
どうもイタリアがドイツに勝ったみたい。私は、この後、疲れがでて、泥のように眠ったのですが、配偶者は夜中まで続くどんちゃん騒ぎに眠れぬ夜を過ごしたそうです。


滞在したLLOYD HOTEL

イタリアドイツ戦を熱心に観戦するおおたれたち。
いつからサッカーファンになったんだ?

次の日の朝、ビュッフェスタイルの朝食を摂りにレストランまで行くと、周りにはたくさんのドイツ人団体観光客が朝食を食べていました。彼らは一様にどよ〜んと沈んだ面持ちでありました。
イタリア決勝進出。っつーことは、また決勝の日、大変なコトになるわけねー。と、我々も少し暗澹としてきました。
サッカーに疎い私は、ヨーロッパサッカーを甘くみていました。これは「祭り」です。しかも全ヨーロッパを巻き込んだ「祭り」です。日本やアメリカが一朝一夕でこの情熱に敵うはずがありません。互いに相争ってきた国々が、武器をボールに変えての真剣勝負、それくらいの勢いです。なお、配偶者によれば、会議の会場では、特にドイツ人に対してはサッカーの話はタブーだったそうです。みんな落ち込んでいたそうな。


ホテルの部屋から見える風景。
近代建築?といろいろな時代の古い建物が同居。

ここも由緒正しい古い教会です。

石畳が続く狭い道。彫刻のある建物、路面電車。
落書きだらけの壁。路上駐車の数々
そこをもの凄いスピードで小型車が駆け抜ける…。
…これがミラノです。

とにもかくにも、ここはミラノ。北イタリアの歴史の要衝。わくわく気分の旅の始まりです。


その2に続く