マトリック・リローデッドスネタバレ感想

私は、実のところ最初のマトリックス無印の場合、映像効果の格好良さには驚いたものの、この映画にそれほど感心しなかったのだ。まあ、「胡蝶の夢」テーマ(と私が勝手に名付けているだけにすぎないが、「現実」と「非現実」がどちらが本当かを疑う話)も珍しくはないし。サイバーパンクSFのありがち設定を実写化してしまう力業には感服するけれど、まあ、それだけ、という感じに思っていた。(それだったら、「ブレードランナー」という先達があるわけで)

で、この2作目を見て、考えが少し変わった。いろいろと上げればきりがない欠点を抱えているものの、話としては結構面白くなってきたのではないだろうか。

第一話はサイバーパンクSFの雰囲気そのままに、ひとりのプログラマーである主人公が、彼の日常が「マトリックス」であり、別の世界こそが「現実」であるということに気づき、「救世主」として覚醒するという個人の事情に止まった話である。

それに対して、今度のリローデッドでは、その陳腐な「救世主」物語をひっくりかえしつつ、マトリックスの構造に迫るというお話に変化を遂げている。
前作での謎めいた伝説のハッカー、トリニティは恋するひとりの「女」に、主人公を導き手であったはずのモーフィアスは、神と自らの信念に裏切られる「狂信者」に。また不可思議で絶対な存在であった預言者は単なるプログラムの発現に。
つまり制作側の視点はネオを離れて、世界そのものに俯瞰で眺める位置にひいてきたのだ。

そして、ザイオンという反抗組織自体も、ネオという救世主の存在も、マトリックスを構成するプログラムにとって必要な「世界」のシステムと「理」とを明らかされる。
世界の操り手は誰だ。皆、操りながら操られる一部に過ぎない。そして、その操るなにかから逃れる方法は?

世界の操り手から自由になりつつあるもうひとつの特異点、エージェント・スミスの存在。

で、問題は三作目だ。

マトリックスとアニマトリックスは同一世界観を共有することになっているので、これを話の中に取り込んでも、まあ、間違いはないだろうとは思うのだが…。「アニマトリックス」の「セカンド・ルネッサンス」で語られた機械による人類支配の形成の伝説は、果たして本物か?と私は疑っている。

なんだかこれも結構うさんくさい話ではないか。太陽電池の代わりに人間なんて効率悪いものを電池にするということ自体、基本的に間違っているような気もするし。(化石燃料を焚いて発電したほうがよっぽど簡単そうだ。)

この「歴史のようなもの」自体が、プログラムが何かを隠すために蒔いたチャフではないかと。手品師のように右側の手に注目を集めつつ、「神の左手」は違う目的に動いているのではないか。

レボリューション。革命。これが3作目の副題に添えられていることが、大きすぎる伏線かもしれない。世界の枠組みを破壊すること。それが革命である。
世界を支える機械による支配システム、つまり彼らがマトリックスに対して「現実」と信じるものが、実は単なる別の位相にすぎず、世界は入れ子のような構造をとっているのかもしれない。で、その入れ子のような構造の壁は明らかに薄くなりつつある。それがリローデッドの最後で、ネオの力がマトリックスを離れてすら効果を及ぼし始めた理由じゃないだろうか。
入れ子構造の世界のすべてを巻き込んで物語世界のすべて破壊するパワーのある「革命」が、ラグナロク(世界の終わり)が来る。いや、来てほしいな、と。

これはちょっと期待しすぎかもしれないけど

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