6日目
教授が、UCバークレーに見学に行きたいといいだす。
BARTと呼ばれる地下鉄にのってバークレー市まで行くことにする。BARTの中はとてもきれい。アメリカの公共の交通機関で、こんなにきれいなのは珍しい。
これで、地下を通ってサンフランシスコ湾を横切る。
所要時間、約20分。駅にとまれば珍しくアナウンスがあるんだが、聞き取りにくい。

UCバークレーは、規模としてはそれほど大きくはない。といっても有名教授のたくさんいる名門校。緑が多くて、きれいな敷地だ。
スタンフォードとともにシリコンバレーを支えているといっても過言ではない。
(その後、このバークレー市はアフガニスタンへの報復戦争への反対を都市として表明する。そういう雰囲気の場所である。)

大きな時計塔Sather Towerに上る。時計塔は観光資源にもなっているらしくて、有料。エレベーターの中には、切符を確認するおばさんが乗り込んでいて、時計塔のベルの簡単な説明もしてくれる。

この時計塔にはかなり大がかりなベルがついていて、複雑な音楽を演奏できるらしい。
定時には、このベルが全学に鳴り響く。思わずテキサスタワーを思い出してしまう。

 モントレーキャナリー

時計塔はわりと優雅なつくり

時計塔から大学構内を見る。

教授はやはり専門の化学系の建物が気になるらしい。有名な先生のところを訪ねてもよいのだが、挨拶がめんどうなので、名札を見るだけでいい、とかいいつつ、ケミストリービルディングへ。生憎、改装中で、えらくほこりっぽい。
約束通り名札を見て、その後改装中の建物を撮影する。
一応、何年か後に移転するうちの大学の参考資料らしい。

その後、coop(大学生協)に行き、教授はおみやげ物を買いに行く。(大学ロゴマーク入りのTシャツとかそういうもの。)

 


私は少々疲れていたので、カプチーノを飲みながら休憩。大学新聞の映画評欄なんかを読みつつ。
今度のThree Mathcateer(三銃士)映画が酷評してある。香港映画のようなワイヤーワークアクションをやっても脚本がstupidすぎ、とか。うーん、それにしてもどうしていつまでも三銃士映画を作り続けるんだろう。そっちが謎だ。

忠臣蔵をいつまでもつくりつづけるのといっしょなのだろうか。
地獄の黙示録完全版のほうははえらく誉めてあった。

構内では、あまり上手でないロックコンサートが始まった。ううむ。ここらへんはどこの大学でもいっしょかな。

キャンパスの中をざっとめぐり、学生街をちょっとだけ冷やかした後に、サンフランシスコ市内に戻ることにする。

ケルプの森

緑の多いキャンパスでのんびり

ちゅうたれ、ごぎげん

ファカルティルーム(教官用食堂)の前で

昨日ひとりで回った、メトロンに配偶者を案内する。

お昼ゴにローストビーフのサンドイッチ。サンフランシスコ名物のサワドブレッドに炭火で焼いたビーフを詰め込んだシンプルなもの。でも最高のお味。

まあ、味はよかったんだけど、ここの店員さんも残念ながらペケ。なんかおしゃべりにばかり忙しくてこちらの注文もまともにきいちゃいない。サラダを頼んでいたのに、シカト。なんだかなあ。

一度、ホテルに戻って休憩したり、テレビをみたり。すでに、サンフランシスコでもデジモンテイマーズが始まっているのにびっくりする。相変わらずオープニングや進化シーンの音楽がアメリカオリジナル。ま、これはこれで味があるんじゃないかと思うぞ。

一休みした後、夕食にはメトロン内部の寿司バーへ。そろそろ日本食が恋しくなっている教授と、カリフォルニアロール好きの私。意見の一致を見たので。
カリフォルニア風に海苔を逆転して巻いた巻物が美味。
また、お店のひとが日系なので、愛想がよくて気持ちいい。
ここのところ、レストランや食べ物やさんではずれな目にばかりあたっていたから…

そのためか、ちょっと二人で食べきれないほど注文してしまう。こっちは一皿の分量が多いんだから気をつけなきゃな。
カリフォルニアワインもグラスで飲んで、お腹いっぱい。サンフランシスコ最後の夜だ。

最終日

さて、サンフランシスコとも今日でお別れ。
玄関に陣取っているガードマンのおじさんにも元気よくバイバイ。お疲れさまです。

飛行機の搭乗時間まで少しあるので、最後にサワドブレッドサンドイッチが食べたくなり買いに行く。空港には日本人の学生が一杯。なので、サンドイッチ屋の列にもたくさん並んでいる。
列に並んだ日本人の若い女性のはっきりしない応答に、サンドイッチ屋の店員がキレる。怒鳴った上に店から飛び出しちゃうんだから相当に失礼だ。

もちろん、はっきりとした応答をしないその子もよくない。他の国に乗り込むのだから最低限の言葉と自分が何をしたいかくらいはちゃんと示せないといけない、とは思う。
でも、だからといって、店員のほうも最低の応対も許せない。その場でクレームをつけるべきだったと後から後悔する。

サンフランシスコは黙っていてもお客のくる観光都市なので、ホスピタリティに乏しいんだろうなあ。と何回めかのためいき。

SFMOMAの売店があったので、お土産ものを購入。さすがに美術館なので、袋のセンスがいい。
そこへ、日本へのお土産を買いに来たらしいおじさん。11号サイズが欲しいと一生懸命言って店員が途方にくれている。そりゃ日本の規格だじょ。
とりあえず、日本のLサイズがだいたいアメリカのMサイズだと(かなり個体差はあるんだけど)教えてあげて店員さんにも感謝される。そりゃー店員さんも日本のサイズなんて知らないって。

もう一度メトロン


ホテルのロビーにて。書斎みたいなつくり

でも側にはガードマンのおじさんが。


サンドイッチを食べながら、飛行機への搭乗を待っていると、なにやらアナウンス。相当数のオーバーブッキングがでたので、ユナイテッド航空はボランティアを募っているようだ。翌日の便にしてくれたら、200ドルの小切手と500ドルのチケットでのお礼をする、とか。

しかし日本に日曜日につく便なので、ボランティアはなかなか現れない様子。お礼の金額がだんだんにつり上がっていくのが面白い。

ほぼ2時間くらい、ずーっとボランティア探しについやしていた様子だ。何しろ10何人ものオーバーブッキングらしくて、そう簡単にはボランティアも集まらない。

最終的には現金300ドル、1000ドルのチケットにまでつりあがっちゃった。

もちろん、我々はいくら魅力的でも今日中に帰らなければ。日本で仕事が待っているしね。。

なんだかんだで、定時より遅れて飛行機はテイクオフ。満員の機内。おまけに機内食は最低。あの始末屋の教授が手をつけなかったのだから、推して知るべし。

その後、2日して、アメリカは予測のつかなかった未曾有の混乱に突き落とされる。
911事件である。
どこでどう生きていても、日本国内でも、危険とは無縁ではいられない。しかし、それにしても…。
あの事件の場所や時間がずれていたら、と思うと正直に鳥肌がたつ。

また私たちは幸運にも空港閉鎖で異国で突然閉じこめられるという体験を免れた。けれど、残らざるをえなかったひとたちもさぞ苦労をされただろう。

今、思うとあの時のサンフランシスコの街は、繁栄の頂点のアメリカを象徴していたのかもしれない。
活気と退廃と富の不公平と混沌と。街は好況のまま(ニュースでは不況の入り口にあるかのように言っていたが)、建設ラッシュが続いていた。まるで、日本のバブルの最盛期のようだった。
そういう空気だった。

あれからアメリカはどう変わったのだろうか。それとも変わらないままだろうか。




…終。